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おじさんのためのサバイバル講座(1)

 1.おじさんの定義

「おじさん」とはどんな人のことをいうのだろうか。
 そのように「おばさん」とはどんな人のことを言うのであろうか。
 年令からは30代後半か、40代始めぐらいからそのように言われる傾向があるので、始まりはたぶんそのぐらいからだろう。
 「おじさん」の限界は、70代手前、70歳を過ぎても「おじさん」と言われることはないだろう。そのあいだは約30年間もある。
 
 この「おじさん」期間は善しにつけ悪しきにつけ、人生のもっとも大事な時期であり、ここをどのように過ごすのか、わが人生の「価値」を決定的にする時期である。
 誰もが無駄に過ごしたくないと思っているが、具体的に無駄ではない、充実の中身というものをイメージできている人は少ない。何となく、自然体で、というのがせいぜいで、わたしはこんな考えで生きております、なんて言う人は少ないと思う。

 わたしもじつはおじさんである。50代に突入し、あっという間に歳を重ねている。50を過ぎると早いよ、と40代のときに言われたことがあるが、実感としてそのように持ったということはその人の指摘はあっていたのである。
 50代がかくも早く過ぎているというのは日々に頓着せず、いわゆる枯れてきたからだと思うが、確かに若いときのようにものごとに執着しなくなった。

 なにか食べたいものは、と言われても適当でいいよ、なにかほしいものは、適当でいいよ、見たい映画あるの、邪魔臭い、まあ、こんな調子で日々を送っていると一年は早いし、楽しいことも少ない。わたしのいまの生活ペースをなぞってみただけであるが、多くは大差ないのかもしれない。

 しかし、これではいけない。どんどん歳をとり、あっと思うと60代、70代である。そうなってから、ジタバタしても手遅れ。
 なぜならば、体が言うことを聞いてくれないからである。頭と体がチグハグというのがこの世代ではあるまいか。少なくとも、おじさん世代はまだ、頭と体は「一致」している。やるなら、いまだ、とわたしは思っている。

 最初に、「おじさんの定義」と書いた。これはおじさんの特性を列挙しようと思ったのだが、おじさん的特性というものは、上げるとキリがないし、そのことによって、おじさんを再認識しても始まらないという気もする。となれば、もう、あれしかない。

 ●短いが、このペースですすめたい。

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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おじさんのためのサバイバル講座(2)

 2.セックスしてるか

 うぬうぬ、これはなんだ。
 さきほど、なにかに関心を示したり、欲を持たなくなったのは、枯れて来た証拠と言った。とりわけ、枯れたのはセックス、と言われると気分はどうだろう。たしかにと合点したのでは始まらない。
 老いてますます盛んという話ならば、分るが。歳をとるというのは、別の言い方をすると、セックスしなくなったということである。

 2月14日(注・古い新聞になる。ごめん)、朝日新聞13面にこんな記事が載っていた。「21世紀に残したいサラリーマン川柳」というもので、それを紹介する。

1.プロポーズ、あの日にかえって ことわりたい 恐妻男
2.宝くじ 馬鹿にしながら 根は本気 バブルな人
3.さからわず いつも笑顔で 従わず 不良OL
4.耐えてきた そう言う妻に 耐えてきた マスオ
5.やせてやる コレ食べてから やせてやる 栗饅頭之命
6.人が減り 給料減って 仕事増え あんどうなつ
7.「早くやれ」そういうことは 早く言え 新舞い
8.ブリはいい 生きてるだけで 出世する アトムの息子
9.まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる 遠くの我家

 これがベスト10まで入った「川柳」である。
 わたしは腹をかかえて笑ってしまった。おかしくておかしくてたまらない。まるで自分のことのように思っておかしかった。ちなみにこんなふうにして腹をかかえて笑う機会もまずない。なにか毎日が、「つまらない」「くだらない」と思って暮らしているのではないか。

 そもそも、セックスは、「子作り」のためにがんばってきたのであって、楽しむなんてものはなにもなかった。楽しかったのは20代だけ。そういう思い出にひたっていると、いまの「セックス」はない。
 おじさん、おばさんのセックスは月に何回。ええと、1回あるかいな、この前はいつだった、こんな調子だろう。健康管理の意味からも、月に5回というのはあり得ない。せいぜい、一、二回というところかな。
 しかし、おじさんの浮気はどうなのだ。若い人となら、できる。何回できる。
 セックスは相手が変わるとできるものなのだろうか。これはセックス心理学の分野でわたしにはとんと分らない。
 しかし、相手が違うと、その気になるという心理は分る。おばさんたちもそうなのだろうか。
 若い子、相手ならば、燃えるのだろうか。わたしはなにも浮気のすすめを書いているつもりはない。その気になったり、燃えたり、興奮したりするというのは、「まだ若い」ということを言いたいのである。

 セックスとは若さのバロメーターである。性欲がなくなるとは、「老化」の証拠。だから、セックスはしなければならない。月に何回という数字はあげられないが、セックスは若さを保つための方法である。

 20代であっても、彼氏がいなかったり、彼女がいない人はセックスレスの状態で、こういう人は見ていても、覇気がなく、不健康である。男は別の方法でレスを解消し、あたかも満足そうにしているが、やはりどこかおかしい。セックスは人間にとって、必要なものなのである。
 セックスの奨励、これが脱出の手かがり。
 (つづく)

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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おじさんのためのサバイバル講座(3)

 3.なぜ、セックスか

 セックスは人間にとって必要という理屈を認めても、なぜ、セックスするのか分らないというだろう。子作りの時代は終わり、セックスにうつつをぬかす歳でもない、それなのにセックスとは。

 ここでわたしが指摘しておきたいことはひとつ。異性である。異性の意識を失うと、もうどうでもいいことになる。自分の格好、行動、振るまい、どうでもよくなる。
 誰かに見てもらいたい、誰かに気づいてほしいという気持ちがないのであるから、自分がなにをしようと、なにをしゃべろうとまったくかまわなくなる。対象としての異性を感じなくなったからである。
 だから、公衆の場、という意識もない。鼻くそいじろうが、足が開いていようが、恥ずかしくもないし、いやその意識が欠落しているから、とっくに羞恥心が働かない。男、女になっていない。

 では、ほんとうに男でなく、女でないのか。セックスレスのまま、「老後」を迎えていいのかである。よく、「いい顔している」という表現がある。これは充実した仕事をしているとき、生活が満たされているときに使う。「いい顔」していないときはなにかが欠落し、満たされていないのである。こんな表現はどうかと思うが、「貧乏人の子だくさん」というのがある。満たすものとしてほかにないからセックスに励み、結果として子がたくさんできてしまったのである。

 おじさんはともかく、おばさんの中には、「モノ」に走る人がいる。高価なモノを買う、という行動も不満の解消の為と見られる。不満を残したままの生活、人生はどこかで爆発する。キレてしまうのである。

 これが中年の離婚の最大の理由になっている。川柳は痛烈にそれを皮肉っている。
 義理や義務でセックスする必要はさらさらない。月1回のそれは、どうも「仕方なく」「魔が差して」という感じもする。つまり、異性としてではなく、なりゆきがそうさせたのだと思われる。これでは男、女の関係ではない。

 異性を意識するというのはどういうことか。わたしは、これは別の言い方をすると、人生への執着であると思う。自分が生きていて、しかもまだ元気であり、生きている。生きている間にすることは、モノではなく、名誉でもなく、ましてやセックスでもない、なんて考えている。

 しかし、そこが違うんだな。じつは人生の執着とは、人間の「こころ」である。「こころ」に光を当てること、これが人生の執着である。

 少し、曖昧になった。
 人にはそれぞれ「こころ」を持っている。この「こころ」は不変ではない。不変ではないが、中年ともなれば、それ相応に汚れたり、修羅場をくぐったり、苦労をしたり、美しい思い出があったりする「こころ」である。
 この「こころ」がなにかを求めている。なにか。中年にはいわゆる食の欲、性の欲、知(知性・知識・学歴)の欲などはなくなっている。すでに多くは定まったと思っている。最後に残された欲は、生存の欲である。

 生存とは、単に息を吸い、三食食べ、排便し、なんて基本的生存のことを言っているのではない。
 生存の欲とは、自らこの世に生きて来た「証し」としての欲である。
 話が少々、マジになってきた。
 (つづく)

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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おじさんのためのサバイバル講座(4)

 4.生存の欲とは

 自分の人生を振り返ってもらいたい。そこに残した痕跡はなんだろう。好きなことを好きにやった痕跡だったろうか。
 わたしはそうは思わない。子作りひとつとっても、それなりに希望と夢があった。青年のときには学業に、結婚には理想を求めて、といろいろあった筈である。それらがその理想どおりに行ったところとそうでないところがまぜこぜになって、痕跡がある。これらは間違いなく自分がしたことである。他人にはできないことである。そこにこれらの痕跡の価値がある。

 そして、それが自らがそこに存在したという証明である。もっと言うならば、そういう痕跡は、死ぬまでそうなのである。意識しようとしまいと家族や他人は、そのように認知する。その人の人生そのものである、と。

 そんな痕跡など、どうでもいい、と言ってしまうと、もう、あなたは相当に年寄りである。自分が生きた証というものは、自分一人ではなにも作れない。パートナーがいた。恩師や先輩、後輩、同僚がいたからこそ、痕跡は残ったのである。いやいや、忘れている。まず、両親がいた。ときにはその他の親戚もいた。

 一人で生きて来たわけはなく、そうした人たちと係わり、時間を費やしてきたのである。これからもその関係は変わるなく、経過する。すると、自分の人生とは、その関係のなかにこそある。どう人と付き合うか、どう人と繋がるか、そういう関係は死ぬまで続くことになる。

 そして、それが、あなたの「価値」「生きた価値」につながる。生きた価値のない人生はない。あなたがいなければ、なし得なかったことは数知れない。いないことで済まされるものはなにひとつないのである。

 生存の欲とはそういうものだとわたしは理解している。だから、わたしはまず、この中年までよくぞ、その痕跡を残したものだと感謝している。残せなかった人たちもいる。志半ばで去った者たちもいる。それを思うと、やはりここまで生きて来たということには感謝したい。

 ああ、ほんとうにマジになってしまった。こんなはずではなかったのに。

 わたしは、公衆の面前でのおじさんたち、おばさんたちの振るまいには頭が下がる。破廉恥のかけらもないその行動には驚嘆すらする。なにごとにも頓着しない、一見、豪快とも思えるその生き方には目を見張り、そういうふてぶてしい精神の持ち主こそ、長生きするのだとすら思っている。恐いものなんか、なにもない。他人がなんじゃい。

 よくよく考えてみると、このおじさん、おばさんの習性は、長い体験から学んだものでしょう。ものおじした頃の時代もあったでしょう。たとえば、少年少女時代には。遠慮や気兼ねをしていた頃もあったが、しかし、それではこの先乗り切っていけないと判断したから、一種の居直りの哲学で強くなった、そう思える。へなへなしたおじさん、おばさんは似合わないのかもしれません。
 (つづく)

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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おじさんのためのサバイバル講座(5)

 5.遠慮はいらない

 こんなおじさん、こんなおばさんばかりが世の中にいたら、世間はどうなるのだろうか。うまく回って行くのだろうか。

 わたしは、いまの10代の子どもたちの「狂気」は、おじさん、おばさんに原因ありと見ています。それだけでないかも知れませんが、かなりの比重を占めていると思われます。そういうことになると、かかわっているおじさん、おばさんたちは、どうも、このふてぶてしいおじさん、おばさんと違うような気がします。

 いったい、おじさん、おばさんたち、世間の親たちはなにを考えているのか。
 ここにあるのは、おじさん、おばさんたちの「夢」ないし「理想」です。こういうものは、たぶん、自分の青春や少年・少女時代、さらには自分たちの親から学んだものが多く含まれているでしょう。
 あの時代に、わたしたちがなにを学んだのでしょうか。昭和30年代から40年代の日本および当時の親たちが考えていたことは、「戦後復興」と「豊かな暮らし」でした。

 日本を先進国のような国にする政治や政治家がいたのです。そして、「豊かな暮らし」をするには、いい学校に入り、いい企業に就職し、とどのつまり高給取りになって、暮らしを豊かにする、こういう図式になります。
 幸いかな、当時は、子どもが豊作でした。この思惑や思想に乗せられて、わたしたちの世代のおじさん、おばさんたちは育ったのです。少なくとも親のこの発想を子どもは学び、いまのおじさん、おばさんも大なり小なり、それと似た目標をかかげてまい進しました。
 
 企業間戦争、受験戦争、就職戦争、別の意味の「戦争」が火花を散らしました。
 その結果どうなったでしょうか。戦争と名のつくかぎり、そこに生き残れる者は、「選ばれた者」だけです。いま政治の中枢を占める世代はみな、「勝ち組」の人たち。立派な家に住み、大企業のえらいさんに納まっている人たちがそうです。
 しかし、その目標の実現はあまりに過酷。できなかった人たちが圧倒的に多かったのです。わたしなんかも、こちらの組に入りますが。この「負け組」の親たちは、次になにを考えるでしょう。「オレがダメなら、息子がいるさ、娘がいるさ」。第2の戦争です。そして、いまの10代はこの戦争のさなかにいるのです。

 いまは「戦後復興」「豊かな暮らし」というスローガンは使いません。ではこの新世紀にふさわしいスローガンはと言えば、たぶんこうです。「サバイバル(生き残り)」と「保証された生活」です。

 おじさん、おばさんの間に起きているサバイバルは、バブル後、リストラと企業倒産に明け暮れしました。切り捨てられた者、去りざるを得なかった者、その数はどのくらいになるのでしょうか。川柳にもありました。「人が減り 給料減って 仕事増え あんどうなつ」。

 そして、この残酷な光景は子どもたちがしっかり見ています。そして親たちは負けずに言います。「負けるな、勝ち抜け」と。

 思えば、30年代以降、日本はその繰り返しです。これでは必ず、「勝ち組」と「負け組」に別れるでしょう。おじさんたちはその戦争に疲れきっているのにおばさんたちは血圧あげて、第三次大戦に突入です。
 (つづく)

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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おじさんのためのサバイバル講座(6)

 6.幸せとはなにか

 いろいろ書いていますが、こうして見ると、おじさん、おばさんのおかれていた時代というのはたいへんな時代なのだということがよく分ります。そこへ、あのおじさん、おばさんたちを当てはめてみてください。もうなにも構わなくなり、羞恥心もないということは、「負け組」を認めているということなのです。

 戦争とは、いつかは収束するものであり、いつかは決着がつきます。国の単位ではなく、家族の単位では結果がずいじ出てきます。それを受け止めてやらねばなりません。受験戦争、就職戦争、よくがんばりました。そうやって、親も子どもも認めてあげないといけません。
 幸いにして「勝ち組」になった人のことはいいです。「負け組」としては、それでいいとはならないのですから、当然、「サバイバル」に向かって突き進む必要があります。

 わたしはかねがね、こんなことを思っていました。つまり世の中はホワイトカラーの人間だけでは成り立たない。ブルーカラーも必要だ。みんながみんなホワイトカラーを目指したならば、世の中は成り立たない。
 適材適所ということばもこの場面では空しく響くのですが、それでもサバイバルのためにやらねばならない。人には偉くなりたい、お金持ちになりたい、広い家に住みたいという欲求があります。しかし、これらの欲求をがまんすることも人の道です。いったん、戦争から身を引き、そしてじっくりわが家庭や家族を見直してみたらどうでしょうか。

 そうしたとき、「人間にとっての幸せ」を、いや「わたしにとっての幸せ」を考えてみてください。前述の欲求が通った人たちだけが幸せなのかどうか。
 いやいや、彼らにもまた新たな欲求が生まれ、それが実現するまでは不幸せと思っているかも知れません。欲求は際限がなく、したがって、それをかざしているかぎり、幸せはやってこないのです。

 わたしにはその幸せを語る資格はありません。それぞれがその感じ方やかたちが違うからです。朝起きて、自分がまだ生きていることに感謝し、自分は幸せだと言う人もいます。生きていること、それ自体を幸せと思う人もいるのです。
 おじさん、おばさんにとっても幸せという意味はそれぞれ違います。みんなが元気でいればいい、そう言って明るく振る舞う家庭もいます。

 これは仮の話だけれど、ここに障害者や病気がちの人がいたら、健康であることの価値がよく分かるものです。健康にまさる幸せはないとも言います。自分がもし、何かの障害をもっていたら、普通に暮らすことがいかに難しいことかが分かります。
 子どもの中にもし、障害の子がいたならば、親はどんな思いをするでしょうか。五体満足という幸せはなににも変えがたいものなのです。

 精神論ばかりを述べても仕方ありませんから、これからわたしが示すことはサバイバルの方法です。いかにしてこの時代をおじさん、おばさんは生きていくべきか、それをわたしが書いてみます。
 (つづく)

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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おじさんのためのサバイバル講座(7)

 7.サバイバル作戦その1

 「サバイバル作戦」別名、「おじさん改造計画」について、最初の提言を申しあげる。
 それは、「男になれ」です。おじさんが若者から煙たがられ、奥さんからも「留守がいい」などと言われるには理由があるのです。まず、いっしょにいたくない、しっしょに食事したくない、いっしょに買い物したくない。つまり、外に出るとき、「いっしょ」はことごとく「ノー」なのです。子どもたちからもそう思われている。

 この存在の否定は、悲劇です。どうしてこんなことになっているのか、ご本人たちは自覚しているだろうか。認識がないという人のために、「おじさん」ダメの根拠を。
 仕種、性癖が嫌い、匂いが嫌い、体格がぶさいく、おしゃれじゃない、話にユーモアがない(これはいつも説教調であるの裏返し)などの要件で、これらを120%満たしている人とはいっしょにいたくないのです。
 離れていて、できれば口も聞きたくない、という心理。家族からのけもの扱いされているおじさんたち、可哀想。そして世間からも「追放」されていると。

 サバイバル作戦のその1は「男になれ」であった。

 男の要件とはなにか。

 前述の根拠の裏側をいけばいい。
 仕種・性癖は、直す。(おじさんギャグも入る)。
 匂いには気をつける。オーディロコンをつけている。ヘアはどうしているか。なにもつけていなければ、体臭が匂うのは当たり前。(むろん、体臭などの臭いを誤魔化す前の、普段から清潔感が大事。)
 体格がぶさいく。これは要するにスマートになればいい。体操している、ジョギングしている、太らない努力している、となる。普段の運動のこと。
 話にユーモアがない。それは要するに世間にうとい、ということ。はやりの映画、音楽、見ている、聞いている。インターネットしている、メールしている。してなければ、やればいい。

 いま列挙したことは「やればすむ」ことです。実行に移すべし。ただし、方法は個人差があってもいい。パソコンに弱い人は、まずパソコン慣れから始めるように、いきなり結果は求めない。大事なのは改造する意思を固めることです。

 そして、ここまでのところで気づいたと思われるが、すべては「外見」「見た目」なのです。見た目が悪ければ、相手の存在を認めない、これがいまふうのイントロ(導入部)です。
 かたちではなく、「中身だ」と反論するのはあとからにしよう。まず、自らの存在が外からどのように映るのかをチェックすべきです。これまでの要件に該当する項目があれば、即実行あるのみです。

 ところで、「おじさん改造」というからおおげさに聞こえるが、じつはこれらの要件はすべての男性に当てはまる。自分の存在に気づかなくなる、注意を払わなくなるときは、要注意なのです。
 断わっておきますが、おばさんにも該当します。口紅を塗るだけでごまかしている女性をわたしはよく目撃しています。

 この「かたち」が先にありき、というところは気に入らないところでしょうが、「かたち」がむさ苦しいと、すべての意欲が減退し、次の行動に移らないというのがいまの若者たちの感性です。感性のふれあいなくして、相互の対話はない。
 (つづく)

tontonboy, おじさんのためのサバイバル講座

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